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城下町中津

一万円札の肖像交替

昭和、平成、令和と続いてきた一万円札の顔、福沢諭吉。
幕末維新期の混迷と変革の時代に、近代化への道筋を示す新しい価値観を低減した啓蒙思想家であり教育者です。
1901年に亡くなり、今年は没後120周年にあたります。
新しい一万円札(渋沢栄一)に替わる前に諭吉が育った大分県中津の城下町を巡ってみました。

中津城のみ

中津城は1588年(天正16年)築城、九州最古の近世城郭(安土桃山時代以降に造られた石垣で守られた城)です。

中津藩5代藩主の奥平昌高は、長崎 出島のオランダ商館長から「フレデリック・ヘンドリック」というオランダ名を贈られたほど交流があり、奥平家は蘭学に力を注ぎました。杉田玄白らとオランダの解剖書を翻訳し、『解体新書』を刊行した中津藩医 前野良沢など、中津藩は多くの学者、医師を輩出。こうした学問を重視する中津藩の土壌が、若き日の福沢諭吉を育んだと言えます。

諭吉の偉業マメ知識

幕末維新期、西洋の考え方や言葉をどう訳すかは大変な苦労がありました。
これらは、福沢諭吉が考案したり、広めたりした日本語です。

【演説】
意見を述べ、交わすことの重要性を知った諭吉。会議の運営について書かれた英書の中で使われていた「スピーチ」を「演説」と訳した
【家庭】
人間教育の基礎として家庭と家族の役割を重視した諭吉は、親子の団欒に適した話題を収めた雑誌『家庭叢談(かていそうだん)』を出版。『家庭』という言葉が普及する契機となった
【独立】
子ども向けに書いた『世界国尽(せかいくにづくし)』などで、独立に『ドクリツ』と読みがなを振っている。諭吉は『個人の独立、そして独立した個人として互いに尊重する関係を大切にすることが、国家の独立の基礎となる』と論じている。
【自由】
著書『西洋事情』で諭吉は、妥当な訳字がなく困窮することが多いと述べている。『リバティー』に当てたのは『自由』。我がままとは違うと釘を刺している。
【健康】
諭吉の師である緒方洪庵が医学書を訳したときに当てた言葉。心身の在り方を重視した諭吉が、頻繁にこの語句を使ったことで広まった。
【ヴ】
諭吉は咸臨丸(かんりんまる)で渡米した際に英語と中国語の会話集を入手し、帰国後に日本語読みをつけて出版した。英語のVの発音表記に苦心し「ヴ」とした。

参考文献/家庭画報2020年10月号「福沢諭吉のすすめ」

STORY.01

黒田、細川、小笠原、奥平。
歴代藩主によって反映した城下町。

JR博多駅から特急列車で1時間20分、大分県中津市は福岡県との県境にあります。
中津は豊臣秀吉が九州平定した際に、黒田官兵衛が拝領。周防灘(すおうなだ)を望む中津川河口に城を築きました。その後、細川家、小笠原家、奥平家と城主が移り変わりながら城を中心に整備が進み、城下町として栄えました。
まずは、町のシンボルである「中津城」へ。敷地が扇状になっているため、別名扇城とも言われています。潮の干満に合わせて濠の水位が増減する水城で、日本三大水城の一つです。
築城当時のまま残っている本丸石垣と内濠を見学しました。黒田家から細川家になって増設された石垣の違いも見どころです。

中津城とともに

中津城は1588年(天正16年)築城、九州最古の近世城郭(安土桃山時代以降に造られた石垣で守られた城)です。

中津藩5代藩主の奥平昌高は、長崎 出島のオランダ商館長から「フレデリック・ヘンドリック」というオランダ名を贈られたほど交流があり、奥平家は蘭学に力を注ぎました。杉田玄白らとオランダの解剖書を翻訳し、『解体新書』を刊行した中津藩医 前野良沢(まえのりょうたく)など、中津藩は多くの学者、医師を輩出。こうした学問を重視する中津藩の土壌が、若き日の福沢諭吉を育んだと言えます。

日本三大水城のひとつ 中津城

日本三大水城の中津城

要塞として自然の川を利用した中津城。高松城、今治城と並んで「日本三大水城」のひとつです。

増設された石垣

石垣が増設されたy字の継ぎ目

石垣が増設されたy字の継ぎ目がよくわかります。右の大きな四角い石積みが黒田時代、左の小さな石積みが細川時代のもの。

黒田官兵衛の像

黒田官兵衛と妻の像

大河ドラマにもなった黒田官兵衛が、福岡藩主になる前に築いたのが中津城です。石垣の近くに官兵衛とその妻 光(てる)の像があります。

独立自尊の碑

独立自尊の碑

福沢諭吉が亡くなった翌年、明治37年に建立された独立自尊の碑。独立自尊とは「自分の力を信じ、人にへつらわず、誇りを持って生きる」という信念が込められた言葉です。

天守屋上から

天守屋上から周防灘が一望

天守屋上から周防灘が一望。対岸は山口県で、瀬戸内海を介して大阪に直行できる利便性と攻防の面から、官兵衛がこの立地を選んだことが実感できます。

長篠合戦図屏風

長篠合戦図屏風

織田・徳川連合軍と武田軍との合戦の模様を描いた「長篠合戦図屏風」。奥平家は籠城で長篠城を死守しました。この功績もあり、奥平信昌は家康の娘を正室に迎え、奥平家は徳川家の一門として厚遇されました。

story 02

諭吉が一万円札の肖像になった理由がわかる

福沢諭吉旧居にて

諭吉が青年期を過ごした福沢諭吉旧居にて。取材時はひな祭りの装飾が華やかでした。

中津を代表する偉人、福沢諭吉が長崎に遊学する19歳まで住んでいた母の実家が「福沢諭吉旧居」として国指定史跡になっています。
案内いただいたガイドさんの話で興味深かったのは、母親のお順さんとのエピソード。諭吉の家も家計は苦しかったにもかかわらず、お順は近所の貧しい娘チエを見ると、毎度のように庭に呼び入れて頭のしらみを取り、ご飯を食べさせました。
諭吉も石の上でしらみをつぶす手伝いをさせられていたそうですが、分け隔てなく接する母の姿を見て「人間平等の精神」が養われたのかもしれません。
隣接する「福澤記念館」では、思想の源流となった諭吉の生い立ちから、近代日本への歩みに貢献した活躍の軌跡を学ぶことができます。
中津には、中津城や福沢諭吉旧居のほかにも、奥平家が奨励した蘭学に関わる施設や、風情ある寺町など見どころがたくさんあります。
安心して観光できるようになったら、ぜひ諭吉のふるさと中津へ。のんびりと歴史散策が楽しめる閑静な町です。

福澤家旧宅跡

福澤家旧宅跡

間取りが石組みで復元され、一家6人が住むには狭く質素な造りだったのがわかります。

改造した土蔵

改造した土蔵

諭吉が少年の頃に改造した土蔵。19歳頃まで2階を学問の場として使っていました。

生田門

生田門

諭吉は中津の青少年のための英学校を提案。旧藩主や旧藩士の出資で「中津市学校」が誕生しました。残っている校門「生田門(しょうだもん)」は、もともと中津藩家老生田家の門。

合元寺

合元寺の赤壁

合元寺(ごうがんじ)、通称「赤壁」。豊臣軍に逆らった地元の豪族 宇都宮鎮房(しげふさ)を中津城で謀殺、その従臣たちとの最後の決戦の場です。何度塗っても白壁に血痕が浮き出てくるため赤く塗られたと言われています。

お願い地蔵

お願い地蔵

合元寺には「お願い地蔵」があり、諭吉も祈願したそうです。

ガイドさんと

中津耶馬渓観光協会のガイド土谷さん

案内していただいた中津耶馬渓観光協会のガイド土谷さんといっしょに。

九州偉人伝
慶應義塾を創設
近代日本の指針を示した--福沢諭吉

福沢諭吉は、天保5年(1835年)、中津藩の下級武士だった福澤百助と妻お順の次男として、大坂(現在の大阪)の中津藩蔵屋敷で生まれました。1歳半で父親が亡くなり、母子6人で大坂から中津へ帰郷。諭吉は幼いときから勉学に励み、19歳で蘭学を学びに長崎へ行き、その翌年には大坂の緒方洪庵の私塾「適塾」に入門しました。23歳のとき藩の命令により、江戸の奥平家中屋敷で蘭学を開きました。これが慶應義塾の始まりです。
西洋文化に触れたいと考えた諭吉は、25歳のとき咸臨丸の軍艦奉行の従者として渡米。2年後には遣欧使節団に随行してヨーロッパ各国を視察し、帰国後『西洋事情』を発行しました。32歳のときには幕府の使節団一員として再渡米。翌年の慶應4年、元号にちなんで、教えていた塾の名を「慶應義塾」としました。
明治維新を迎え、諭吉の提言により「中津市学校」が開校。その際に学問の必要性を示すため37歳で刊行したのが『学問のすゝめ』初編です。40歳で三田演説館を開館し、その後も自身が創刊した新聞などで発信を続けました。近代日本の変革期に日本人がどう生きるべきかを啓蒙した諭吉は、64歳のときに『福翁自伝』を出版。明治34年(1901年)2月、66歳で永眠しました。

城下町中津 お出かけMAP

中津お出かけマップ

福澤諭吉旧居 福澤記念館

福澤記念館

1803年建築の木造茅葺き平家で、国指定史跡。記念館では一万円札の1号券を展示。
12月31日休
0979-25-0063

大江医家史料館

大江医家史料館

中津藩の御典医を務めた大江家旧宅。解体新書の初版本や蘭学資料を展示。
月曜休(祝日の場合は翌日)、年末年始
0979-22-0049

村上医家史料館

村上医家史料館

江戸時代から続く医家。解剖図や医学資料を多数展示。
月曜休(祝日の場合は翌日)、年末年始
0979-23-5120

中津城(奥平家歴史資料館)

中津城(奥平家歴史資料館)

中津川の河口に築城。現在の天守閣は昭和39年に建造されたもの。
年中無休
0979-22-8615

中津市歴史博物館

中津市歴史博物館

中津城の石垣が館内から鑑賞できるガラス張りの博物館。
月曜休(祝日の場合は翌日)、年末年始
0979-23-8615

自性寺(大雅堂)

自性寺(大雅堂)

中津藩主 奥平家の菩提寺。12代住職と親交が深かった池大雅の書画を展示。
年中無休
0979-22-4317

\さらに足を延ばして/

自然の絶景やグルメを楽しもう!

城下町を離れると、自然がいっぱいの中津。2017年に日本遺産に認定された「耶馬渓」の渓谷、奇峰は必見です。

競秀峰(青の洞門)

競秀峰(青の洞門)

諭吉も愛した競秀峰には、江戸時代の僧侶 禅海が30年かけて掘ったトンネル「青の洞門」がある。

耶馬渓橋

耶馬渓橋

大正12年に架橋。8連アーチ、長さ116mの日本一長い石橋。

深耶馬渓(一目八景)

深耶馬渓(一目八景)

新緑、紅葉のシーズンは格別。展望台からは、断崖といくつもの奇岩を見ることができる。

サイクリングロード

メイプル耶馬渓サイクリングロード

耶馬渓鉄道の廃線を利用した自転車道。レンタサイクルで散策できる。
年中無休
0979-22-8615

中津からあげ

中津からあげ

今や全国で知られるようになった、中津のソウルフード。からあげ専門店は市内に約60店舗もあるので、食べ比べもオススメです。

ハモ料理

ハモ料理

豊前海で育つハモは、弾力があって美味しいと評判。トロ箱の中で「つ」の字になるほど大きいことから「つの字鱧」とも呼ばれています。

観光についてのお問い合わせ

一般社団法人 中津耶馬渓観光協会

TEL:0979-23-4511
https://nakatsuyaba.com/
※観光ガイドの予約も受付中(ガイド1人につき2時間2,000円~)